先日のメールレターにも記しましたが、コーネルと岡上淑子展をやはりどうしても見ておきたいという気持ちから行くことにしたのです。
コーネルは千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館まで、東京から在来線で約1時間半ほどかけて、9:30の開館時刻前に着きました。
郊外の美術館の素晴らしいところは何といっても広い敷地であること。だいたいですが、大きな池もあるということ。ここもご他聞に漏れずそうでした。高いビルが一切ないところにポツンと建物があるという清々しさ。そしてまわりに雑木林と池と芝生。三拍子揃った素敵な美術館です。閉館の17:00までタップリ堪能して来ました。
さて、以下は「ジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ」展の感想です。
コーネル作品に会えて、久々にコーフンした! それは端からは分からない静かで熱い気持ちの高鳴り。じっくりとひとつひとつの作品と対峙する。細部にまで目を凝らしてみて見ると、切り抜いたものとの境界線がもはや分からないほどの完成度の高さに驚く。
コラージュはマックス・エルンストに影響されていたということだけど、エルンストよりももっと繊細でロマンチックな感覚が作品からうかがえる。私はやはりコーネルの方が好きだな。コーネルは女性に対して一種神格化しているようにも思える。幻想を抱いていると言ってもいいかもしれない。
小さい貝の中に人の顔が潜んでいたり、バレリーナのコスチュームに貝を細かく砕いて貼っていたり、火事場とユリの花を対比させたり…。どこかに優雅さを感じさせるものがある。いつまでも見ていたい気持ちにさせてくれる。
箱の作品は1992年に滋賀県立美術館で初めて見た時にインパクトを受けた作品はなかったんだけど、国内の美術館の収蔵品を一堂に集めてあり、見応えがあった。図録で何度も見ていたが、やはり実際の作品を目の当たりにすると迫力がある。思ったよりも大きく感じた。
どれも裏表をじっくり鑑賞することができて大満足! 箱の中に入りたい! イメージの中では私は箱の中に居た。
映像は何点かを4カ所に分けて上映。フィルムを切って貼り合わせた映像のコラージュという作品もあった。
どれも5〜15分ぐらいのものだけど、これという筋もなく無声でループでまわっているとつい眠気に襲われて何度も同じところを見ていた気がする。でもそれが心地よくもあった。
今回、コーネルの雑誌での仕事も見ることができたのが嬉しかった。デザインセンスに長けていることがよく分かる。フライヤーにも載っていた女優ローレン・バコールのポートレートのための習作を初めて目にした。鉛筆の手描きが軽やかで完成を見ていないのに、むしろ習作であることの方が見る価値ありと思わせる何かがある。
そしてひとつ発見したことがある。コーネルは好きな女優やバレリーナからもらった写真にどうしてもハサミを入れられなくて、その写真を自身で撮影して現像したものを使ってコラージュしていたようなのだ。その気持ちすっごく分かる! だって私もお気に入りのものは手放したくない派だもの。そのことに多少なりとも後ろめたさを覚えていたのでコーネルも同じようなことをしていたと知り、ちょっと嬉しかった。
コーネルは既にこの世にはいない。でも彼の作品がこうして大切にされているからこそ再び目にすることができることの喜びを、ひしひしと感じながら美術館を後にした。今度お目見えできるのはいつになるだろう。自分の創作の原点でもある作品たちにまた会えることを祈る。
私も私なりのコラージュを楽しみながら追求していきたい!と思えたことが何よりだった。
その気持ちを備忘録として残しておく。
2019年4月5日





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